低価格ホテル計画の再検討と地方都市の雇用創出

給油所併設サービス実現に焦点

タイ石油公社(PTT)は国内の石油と天然ガスのコングロマリットですが、非石油部門の強化と広く顧客を獲得するために、自社の給油所に低価格ホテルを建設する計画を再検討しています。

エグゼクティブ・バイスプレジデントのスチャット・ラマット氏は、国内にあるPTTの給油所に低価格ホテルを設置することについて、国内のホテル運営企業6社から共同事業のオファーを受けていると述べました。年内には提携企業を決めるとしています。この事業について、合弁会社またはPTTの子会社どちらになるにしても、建物の管理はホテル運営企業に委託する予定です。向こう3〜5年以内にタイ全土に渡って、PTT社の給油所50カ所に低価格ホテルを建設することを計画しています。各ホテルの客室数は70室、1泊700バーツ程度になるでしょう。

ホテルが建設されるガソリンスタンドは大通りに面していなければなりません。各ホテルの建設に3.5ライ(1ライ=1,600m2)の広さが必要となります。 「ホテル事業は大きな収益にはならないかもしれませんが、給油所の新しいサービスを成功させたいと思っています。」とスチャット氏。また地方都市ではガソリンスタンドを中心とした小規模な街の形成や雇用創出に一役立ちたいと考えています。それに加えて、PTT社は国内外の自社給油所併設のショップをオープンするために、中小企業が販売するタイブランド商品を探しています。その計画のために複数のブランドと交渉してきました。

PTT社がタイで初めてオープンしたテキサス・チキンは、今年バンコクと郊外で合わせて9店舗オープンする予定で、各店舗につき600〜700万バーツの投資が必要です。テキサス・チキンの支店数は年内までに20店舗を目標にしています。スチャット氏によると、同社は最近フアセンホンという中華レストランのフランチャイズ権を獲得し、PTT社の給油所やショッピング総合ビルでのオープンを予定しています。

同社がフアセンホンの契約にサインするために10年かかりました。現在、国内にはフアセンホンが20店舗ありますが、向こう5年以内に200店舗まで増加させる見込みです。顧客層を広げるため、PTT社は100カ所以上の給油所について、顧客にわかりやすいデザインに変更しました。向こう2〜3年で1,500カ所の給油所についてもデザイン変更を予定しており、1.4億バーツの費用がかかる計画です。さらに、もっと郊外からもアクセスしやすい場所に給油所を設置することを計画しています。現在、全国で小規模給油所が20カ所運営されています。PTT社の計画では、今年、さらに50カ所の小規模給油所をオープンし、年内までに全部で70カ所所有する予定です。この計画には1カ所あたり1,500〜1,800万バーツの投資が必要です。PTT社の株は先週金曜日タイ証券取引所の終値で393バーツ、1バーツ下がって、11.9億バーツで取引を終えています。

27歳の冬、タイで再就職しました。

5年目の11月に会社を辞めてからは、少ない退職金を持ってお金がなくなるまでタイで過ごそうと決めて出国しました。
バンコクへやって来た時は、ゆっくりしたいという気持ちが強く、そのまま就職するとは考えてもいませんでした。
カオサン通りを定宿にしながら、バンコクの街で遊び惚ける日々を送っていると、ひょんなことからバンコクで人材紹介会社を起業したばかりの日本人と知り合いました。

その方は私と2歳しか変わらなかったのですが、信念を持っている方で考え方などは10歳くらい上のように見えました。いつしか初めて会った日からローカル屋台で夕飯を一緒にすることが毎日の日課のようになっていました。

約1ヶ月たった時に「ところで、これから何したいの?」と聞かれ、黙っていると「ウチ来る?」と誘われ、流れに任せるように2日後くらいから、その方の人材紹介会社に就職することになりました。

今と違って、その頃はまだまだ労働許可証については緩かったので慣れるまでは取らないでおこうという考えから半年くらいはタイを出たり入ったりを繰り返しながら昼は会社で働き、夜はタイ語学校に通う日々を過ごしました。
ようやく仕事に慣れ、タイ語も理解出来るようになり、またアパートメントを借りたところで正式に就職することになりました。

それから人材紹介会社の仕事は、初めの会社が入社後3年で業績悪化により吸収合併されてしまいましたが、親が倒れ日本へ帰国した2年前まで働いていました。人材紹介会社の仕事というのは、雇用者が欲しい企業側の気持ちや、働きたいと思う求職者の気持ちの両方がわかるので凄く楽しかったです。
また、いわゆるキャリアアップと呼ばれる転職して技術を身につけたり給料が上がったり、前職よりも何もかもが好転するような求職者がいると、何年経っても感謝の意を述べられるのでとてもやりがいがあります。

2年前に母親が倒れたのを機に退職し日本へ帰国しました。日本に帰ってからはタイ料理屋でアルバイトをしながら、親の看病を1年続けていると、すっかり母親は以前よりも元気を取り戻しました。ちなみにアルバイトをしていたタイ料理屋で今の奥さんと出会いました。